湖水乗切り(のっきり)

今年のコンクールでは琵琶古典、「湖水乗切り(のっきり)」でエントリーすることになりまして、
その曲の背景などを勉強しています。

明智左馬之助秀満という明智光秀配下の武将がおりまして、
ゲーム『鬼武者』の主人公だったり、
大河『麒麟が来る』では間宮翔太郎君が演じたり、
割とドラマのある武将なのです。

秀満は光春や光俊とも言われます。
また、光秀の従兄弟とも、姻戚とも言われますが、
単に明智姓を賜っただけ、とも。

そんな秀満、
山崎の戦いで光秀が秀吉に敗れた際に
秀満は安土城から坂本城に向かうのですが、

既に堀秀政に囲まれており
包囲網から脱するために琵琶湖を馬に乗って泳いで渡った

という伝説
これを左馬之助の湖水渡り、湖水乗っ切りといわれてまして

まぁ、江戸時代になってから講談や書物で
脚色されてる話なのですが、
2020年5月に山岡家(琵琶湖、瀬田川のあたりの武将)の文書が公開され

全くの創作でもないんじゃないか、ともされております。

そんな「湖水乗切り」を琵琶でお稽古受けてるのです。
いや、琵琶曲では割と珍しい縁起のよい曲で笑、
コロナ禍を乗っ切って欲しい、という願いもかけつつ、ですね。

そこで、
左馬之助の心情に思い馳せる上で
やはり本能寺の変

主君光秀が、何を考えて信長を討とうと考えたのか、
左馬之助は光秀からその計画の告白を受けて
どのような心情の推移だったのか、
止めたのか、諌めたのか、それでもやるからには成功させようとしたのか、
それとも左馬之助は率先して賛成したのか、

それを知りたくて本能寺の変を調べてるのです。

いや、「本能寺の変」
坂本龍馬暗殺と並んで日本史の最大のミステリーの一つでしょうか
各説の論争とトレンドの変化が面白い。

まずは怨恨説
基本的に講談や各種演芸では長らくこれで、
家康饗応役を罷免されたり、
所領である丹波を没収されたり、
「骨を折りました」発言で信長から殴る蹴るされたり、
波多野氏に差し出してた人質の母が、信長の反故で殺されたり

私が子どもの頃に読んでた学研漫画でも
このような描写が

しかし、これらは基本的には後世の二次資料によるもので、
根拠のないものとして否定されております。

丹波没収についても
本能寺の変や山崎の戦いで、丹波兵が多数参加していたこと、
丹波はもとからの光秀の所領ではなく、
没収されたあとも忠誠を尽くすことは合理的でないことから否定されている。

その次に出て来たのが黒幕説

これも漫画ではありますよね、
1990年頃から流行ったもの
『あずみ』や本宮ひろ志の時代漫画も
たしか秀吉黒幕説だったような。

秀吉以外にも
家康黒幕説、足利義昭黒幕説、
朝廷黒幕説、イエズス会黒幕説、

秀吉黒幕説が割と創作物の中では人気で
「誰が一番得をしたのか」だと秀吉、
毛利攻めを一転して和睦して
ダッシュで安土に戻って(「中国大返し」という)光秀を討つ

出来過ぎだろう、と

しかし、その中国大返しにしても
まずは騎馬兵だけを先行させたので、事前察知してなくても十分に辿り着く距離時間ですし、
毛利の追撃がないことを2日ほど確認してるので、
知ってたにしては不自然だと、

また、家康黒幕説については、
家康は命からがら三河に戻ってる
義昭説には、義昭が知ってたら庇護されている毛利に伝えて
秀吉を挟撃できたはず、

朝廷とは近年の研究で信長との良好な関係が裏付けられている

イエズス会はヨーロッパならまだしも極東での影響力少ないし、貧困に喘いでいた、

と、
そもそも本能寺の変は
信長と、その子の信忠が手勢なく京にいるという
偶然の軍事上の空白が生まれたのであって
共謀する時間がない、とも言われますし、

光秀が黒幕に話を持ちかけるにしても
黒幕が光秀に働きかけるにしても、
信長に通じるおそれがありリスクが高すぎる

そこで黒幕説も軒並み説得力を失っている

そんな中で最近有力になりつつあるのが、
四国説

四国を統べる長宗我部元親と信長の関係悪化から
渉外役だった光秀の信長家臣内のプレゼンスを失ったこと
光秀の重臣である斎藤利三が長宗我部氏と姻戚関係にあったことから、
斎藤利三が本能寺の変を強く申し入れた、と
2014年に石谷家文書が発表されたことで
説得力を増してトレンドに

しかし、
本能寺の変後の光秀の動きに整合しない。
津田信澄が準備していた四国討伐軍について
津田信澄は光秀の娘婿なので真っ先にその軍勢を
対秀吉の討伐軍に編成し直すこともできたはずなのにしておらず、

結局は信澄は山崎の戦い後に、
姻戚関係から共謀を疑われて襲撃されて滅ぼさており、

光秀が長宗我部のために本能寺の変を起こしたにしては不自然な

というところで、
結局は各説決め手がない、
まぁ決め手がないからミステリーなのですが笑。

さて、じゃあどれを採るか

まず琵琶歌の作詞者は
おそらくは従来とおりの怨恨説だったのだろうと思います。
琵琶歌も創作物ですから、歴史的見解とはズレるので、
それを基準にする方法もある。

が、私はやっぱり光秀にはカッコよくあって欲しいのです。
光秀には夢があり、それに共鳴した左馬之助がいた、
それがカッコいいじゃないですか、

だからこそ
野望説

光秀も、信長や秀吉、家康と同じく
天下人になる野望があった、

もちろん思惑違いもあったろう
秀吉はもっと毛利で時間がかかると思い、
細川藤孝や筒井順慶が日和見になったことも誤算だった、

あとは信長の首
秀吉の撹乱作戦
「信長様は本能寺から逃れた」という書状を出しまくるのですが
それを読んだ各将が光秀に参集することを控えた、とも。

これも信長と信忠の首が無かったことから説得力を増してしまった、

つまりは光秀は信長に負けたわけですね。
最期の一手、
火を放ち自害した信長の策に負けた。

それでも
天下を取るという意思は
後の秀吉や家康と共に
あの時期に四人だけが持ち得て、実際に手中にしたスターの一人だった、と。

これが一番若々しく、
そしてカッコいいな、と。

まぁ、これを勉強したところで、
節回しや琵琶の手が具体的に変わるわけではないのですが笑

まぁでも少し変わるのでしょうか、
ほんのミクロの世界で。